田尾城 tao-castle 徳島県三好市山城町岩戸

芝土塁/毛抜き堀(左列) 本丸跡/北城曲輪(右列)


攻城年月日
2012/吉日


【歴   史】※説明板より
田尾城は中世の山城である。南北朝時代の山城の特色は、石垣のない空堀で城の配置にも特色がある。
当時は北城が正面・戦国時代南城が改修され正面に変わる。
戦史
一、南北朝時代
平地より侵攻してきた、北朝方の細川頼春に対し、池田城の小笠原義盛は南朝方に味方して1337年挙兵し戦ったがり利有らず和を結んだ。長男頼清は節を曲げず、讃岐に侵攻してきた、南朝方の山岳武士集団の脇屋義助と呼応して田尾城を築き八石城と連携した阿波山岳武士の拠点である。
二、戦国時代
土佐の長宗我部元親は四国制覇の野望を抱き約3000の兵を従え天正5年春1578年侵攻してきた。白地城主大西覚用は砦の田尾城を改修し弟頼信13才を城主とし、守将の寺野源佐衛門武次に兵300を与え猛攻撃を繰り返したので力攻めでは落とせないと見た元親は夜陰に乗じ山に火を放った。火攻にあい落城したので、白米伝説がある。


memo
予定に無かった城跡だが道の途中で案内板を見つけて急遽城攻め。登り口が判らなくて尾根伝いに道無き道を登城。城の保存状態が良くない三好市の中では不便な山頂にあるのが幸いしたか、比較的遺構の状態は良好。

photo:ばつまるさん


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